1分で読むOLのはなし

初級OLが500文字(くらい)で書く云々

おじさんのはなし

 

初めて人の死に遭遇したのは小学5年の冬だった。

同居していたおじさんが死んだ時だ。

 

 

「おじさん」と言っても、叔父ではなく祖父の兄(続柄の呼び方がわからない)で、

家族からはおじさんと呼ばれていた。

 

おじさんは生まれつき軽度の知的障害があり、

結婚せずに家族のもとで暮らしていた。

祖父母と一緒に畑へ行き、農作業の担い手として毎日働いていた。

会話はああ、とかうん、とかは成り立ったが、

複雑な意思の疎通はあまりできなかった。

 私はおじさんとほとんど会話をしたことがなかった。

 

おじさんの世話は主に祖母がしており、

食事も別で風呂は昔からある離れのものを使っていた。

 

側から見れば家族なのにおかしいかもしれないが、

それでも、おじさんは昔からそうで、

私の小さい頃からおじさんはおじさんとしてそこにいて、一緒に暮らしていた。

 

 

 

おじさんはある日あっけなく亡くなった。老衰だった。

 

私は悲しみよりも初めて遭遇する人の死と、

それにともなう通夜や葬儀や親戚の集まりといった非日常のイベントに興奮した。

 

一番の衝撃は火葬の後のお骨拾いだった。

数日前まで一緒に暮らしていた人が、

驚くほど軽い白いものになって帰ってきたのを見て、

「人間はいつか死ぬ」「自分もいつかこうなる」

ということを初めて理解した。

 

誰かが「農作業をして運動していたから骨がしっかり残ってるなあ」

と言った。

おじさんはあまりたくさんは喋らなかったし、

誰かに同情されたり特別に扱われることもなかったが、とても働き者だった。

 

私は慣れない左手でおじさんの骨をひとつ拾って壺に入れた。

 

 

何日か後、台所からおじさんの茶碗が無くなっているのに気づいた。

使う人がいないので祖母が片付けたのだろう。

そのとき私は「あ、おじさんはもういないんだ」

ということを実感した。

人がいなくなるということは、たとえばそういうことなのだ。

 

 

おじさんが無くなって10年以上経つ。

よく考えたら私は障害者の家族だったんだな、と今さら気づいた。

 

24時間テレビやパラリンピックで障害者と

その家族に焦点が当たっているが、

 

当人たちはそこをあまり強く意識していないのかもしれない。

もちろんその家族のことは私には知り得ないが。

 

 

少なくとも私にはおじさんはおじさんだった。